原爆をまなざす人びと
広島平和記念公園八月六日のビジュアル・エスノグラフィ

八月六日の広島平和記念公園に集い,〈原爆をまなざす〉無数の人びとの姿を映像によって多角的にとらえ,この日この場所の人びとの営みの全体像を理解し,その意味を解きほぐす試み。映像を駆使したビジュアル・エスノグラフィの方法論入門にも好適。
原爆をまなざす人びと――目次
はしがき――今日の原爆爆心地で
映像作品について
第?部 課題と方法
第一章 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざす
一 惨禍と苦しみの意味
二 意味の〈現在地〉――調査の背景と目的
三 八月六日の平和記念公園――調査の対象
四 なにをどうまなざすか――本書のねらい
注
第二章 ビジュアル・エスノグラフィの方法
一 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざすために
二 ビジュアル調査によるアプローチ
三 ビジュアル・データが異化する八月六日の広島
四 集合的観察によるアプローチ
五 どのようなデータが得られたか
注
コラム 写真家たちのひろしま
コラム 映画のなかのヒロシマ
第?部 ビジュアル・エスノグラフィの実践
第三章 ビジュアル・フィールドワークの経験――広島を見る眼と身体
一 調査員の経験から
二 集合的観察の実際
三 八月六日の平和記念公園に触れる身体へ
四 調査を終えて
注
第四章 平和記念公園をまなざす映画づくり
一 ビジュアル・データをどうまとめるか
二 社会調査から映画づくりへ
三 八月六日のさまざまな〈時間〉を見る
四 社会調査映画の可能性
注
コラム 映像作品紹介『アバーブ・ザ・グラウンド』
第五章 社会調査映画『アバーブ・ザ・グラウンド』の挑戦
一 映画界との交点
二 『アバーブ・ザ・グラウンド』を読み解く
三 アメリカ人の反応
四 映画技術に関する課題
五 調査表現としての映画
注
第六章 調査表現としてのビデオ・インスタレーション
一 社会調査からインスタレーションへ
二 「レプリカ交響曲」の制作と展示
三 八月六日の平和記念公園を再提示する
注
コラム 映像作品紹介『シンクロニシティ――レプリカ交響曲』
第七章 〈群像〉をまなざす〈群像〉――イメージ生産の再帰性と集合的無意識
一 イメージ生産の再帰性
二 映像に表れるものたち――撮影者と被写体の関わり合いを通して
三 眼に見えないものの表れ――まなざしの「ふところ」と「彼方」
四 集合的無意識と映像――撮影したのは誰か
注
コラム 映像作品紹介『〈群像〉をまなざす〈群像〉』
第?部 八月六日の平和記念公園という場所155
第八章 元安橋――平和記念公園の境界
一 爆心地に架かる橋
二 八月六日に元安橋を渡る人びと
三 不確かさの空間
四 〈原爆の/現在/地〉の結合と分離
注
コラム 映像作品紹介『午前八時十五分』
第九章 原爆ドームと原爆供養塔――平和と慰霊
一 平和記念公園における平和と慰霊
二 原爆ドームに集う人びと――平和を訴える
三 原爆供養塔を訪れる人びと――身近な人の死を悼む
四 八月六日の意味――平和と慰霊の乖離と接合
注
コラム 映像作品紹介『原爆供養塔の朝』
第十章 深夜の原爆慰霊碑前に祈る人びと
一 八月六日深夜の原爆慰霊碑前という時空間
二 なにを、なぜ祈るのか――祈る人びととの対話
三 死者へのまなざしを媒介とした対話の時空間
四 非被爆者にとっての〈原爆という経験〉――その新たな意味と関わりの生成
注264
コラム 映像作品紹介『深夜の原爆慰霊碑前を見る』
あとがき
文献
索引
装幀=新曜社デザイン室
はしがき――今日の原爆爆心地で
映像作品について
第?部 課題と方法
第一章 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざす
一 惨禍と苦しみの意味
二 意味の〈現在地〉――調査の背景と目的
三 八月六日の平和記念公園――調査の対象
四 なにをどうまなざすか――本書のねらい
注
第二章 ビジュアル・エスノグラフィの方法
一 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざすために
二 ビジュアル調査によるアプローチ
三 ビジュアル・データが異化する八月六日の広島
四 集合的観察によるアプローチ
五 どのようなデータが得られたか
注
コラム 写真家たちのひろしま
コラム 映画のなかのヒロシマ
第?部 ビジュアル・エスノグラフィの実践
第三章 ビジュアル・フィールドワークの経験――広島を見る眼と身体
一 調査員の経験から
二 集合的観察の実際
三 八月六日の平和記念公園に触れる身体へ
四 調査を終えて
注
第四章 平和記念公園をまなざす映画づくり
一 ビジュアル・データをどうまとめるか
二 社会調査から映画づくりへ
三 八月六日のさまざまな〈時間〉を見る
四 社会調査映画の可能性
注
コラム 映像作品紹介『アバーブ・ザ・グラウンド』
第五章 社会調査映画『アバーブ・ザ・グラウンド』の挑戦
一 映画界との交点
二 『アバーブ・ザ・グラウンド』を読み解く
三 アメリカ人の反応
四 映画技術に関する課題
五 調査表現としての映画
注
第六章 調査表現としてのビデオ・インスタレーション
一 社会調査からインスタレーションへ
二 「レプリカ交響曲」の制作と展示
三 八月六日の平和記念公園を再提示する
注
コラム 映像作品紹介『シンクロニシティ――レプリカ交響曲』
第七章 〈群像〉をまなざす〈群像〉――イメージ生産の再帰性と集合的無意識
一 イメージ生産の再帰性
二 映像に表れるものたち――撮影者と被写体の関わり合いを通して
三 眼に見えないものの表れ――まなざしの「ふところ」と「彼方」
四 集合的無意識と映像――撮影したのは誰か
注
コラム 映像作品紹介『〈群像〉をまなざす〈群像〉』
第?部 八月六日の平和記念公園という場所155
第八章 元安橋――平和記念公園の境界
一 爆心地に架かる橋
二 八月六日に元安橋を渡る人びと
三 不確かさの空間
四 〈原爆の/現在/地〉の結合と分離
注
コラム 映像作品紹介『午前八時十五分』
第九章 原爆ドームと原爆供養塔――平和と慰霊
一 平和記念公園における平和と慰霊
二 原爆ドームに集う人びと――平和を訴える
三 原爆供養塔を訪れる人びと――身近な人の死を悼む
四 八月六日の意味――平和と慰霊の乖離と接合
注
コラム 映像作品紹介『原爆供養塔の朝』
第十章 深夜の原爆慰霊碑前に祈る人びと
一 八月六日深夜の原爆慰霊碑前という時空間
二 なにを、なぜ祈るのか――祈る人びととの対話
三 死者へのまなざしを媒介とした対話の時空間
四 非被爆者にとっての〈原爆という経験〉――その新たな意味と関わりの生成
注264
コラム 映像作品紹介『深夜の原爆慰霊碑前を見る』
あとがき
文献
索引
装幀=新曜社デザイン室