共感覚の世界観
交流する感覚の冒険
つぶやく色彩,きらめく音響。文学作品には,異なる感覚が入り混じる共感覚表現が多彩に見られる。芭蕉,宮沢賢治,ボードレール,ランボオ,さらに幻覚者や宗教の世界にも分け入り,豊かな共感覚世界を読者と共に逍遙する,読書の愉悦に満ちた一書。
共感覚の世界観――目次
序 章 共感覚の問題性
響きあう感覚 /共感覚表現が目指すもの /現実原則を超えて
感覚越境の自在な広がり /本書の抱負と「共感覚」概念の画定
第1章 知覚かレトリックか
共感覚者と非・共感覚者 /特殊にして普遍的 /歴史的な経緯
発達段階から /幼児体験として /共感覚表現の方向性
共感覚体験の共有 /日常生活にある感覚転移
第2章 聴くことの多様な広がり
音から色へ、色から音へ /音と色を結ぶもの /音声の身体性
癒しの音楽、忌むべき音楽 /リズムについて /遠感覚と近感覚
味覚、嗅覚および音楽 /音のない音楽 /音楽、茫漠として堅固
第3章 夢想と幻覚
幻想としての共感覚 /共感覚と夢 /回想という共感覚世界
精神病理として /尾崎翠の世界 /「精神障害者」(?)たち
共感覚と記憶の能力 /幻覚剤の働き /薬物に魅せられた人たち
幻覚剤に何を求めるのか
第4章 宗教からみた共感覚
聖堂、共感覚空間として /石、堅固にして柔軟
鐘、聖化された音 /香、言葉なき浸透
「神秘」としての共感覚 /アナロジー思考の宗教性
オリヴィエ・メシアンについて /「青」のシンボリズム
第5章 「万物照応」という思想
「深く、また暗黒な統一の中で」 /二つの「黄金詩篇」
「万物照応」と共感覚 /スウェーデンボリ、「天界」と人間
シャルル・フーリエ、「調和」と「統一」
ブラヴァツキー夫人、シュタイナー、宮沢賢治
照応思想とキリスト教 /アニミズムと輪廻転生
自然科学の立場から
第6章 共感覚と社会
五感の序列、時代の流れにおいて /文化の違いと感覚の働き
感覚の果てしなき練磨 /「商品」としての共感覚
「メディアはメッセージである」 /「テレビは触覚的である」
マクルーハンと共感覚 /共感覚、時代と社会を超えて
共感覚にある原始的なもの
終 章 なぜ共感覚なのか
子どもと共感覚 /「創造」の力として
再びアニミズムについて /共感覚の世界
あとがき
注
主な参考文献
装幀 難波園子
序 章 共感覚の問題性
響きあう感覚 /共感覚表現が目指すもの /現実原則を超えて
感覚越境の自在な広がり /本書の抱負と「共感覚」概念の画定
第1章 知覚かレトリックか
共感覚者と非・共感覚者 /特殊にして普遍的 /歴史的な経緯
発達段階から /幼児体験として /共感覚表現の方向性
共感覚体験の共有 /日常生活にある感覚転移
第2章 聴くことの多様な広がり
音から色へ、色から音へ /音と色を結ぶもの /音声の身体性
癒しの音楽、忌むべき音楽 /リズムについて /遠感覚と近感覚
味覚、嗅覚および音楽 /音のない音楽 /音楽、茫漠として堅固
第3章 夢想と幻覚
幻想としての共感覚 /共感覚と夢 /回想という共感覚世界
精神病理として /尾崎翠の世界 /「精神障害者」(?)たち
共感覚と記憶の能力 /幻覚剤の働き /薬物に魅せられた人たち
幻覚剤に何を求めるのか
第4章 宗教からみた共感覚
聖堂、共感覚空間として /石、堅固にして柔軟
鐘、聖化された音 /香、言葉なき浸透
「神秘」としての共感覚 /アナロジー思考の宗教性
オリヴィエ・メシアンについて /「青」のシンボリズム
第5章 「万物照応」という思想
「深く、また暗黒な統一の中で」 /二つの「黄金詩篇」
「万物照応」と共感覚 /スウェーデンボリ、「天界」と人間
シャルル・フーリエ、「調和」と「統一」
ブラヴァツキー夫人、シュタイナー、宮沢賢治
照応思想とキリスト教 /アニミズムと輪廻転生
自然科学の立場から
第6章 共感覚と社会
五感の序列、時代の流れにおいて /文化の違いと感覚の働き
感覚の果てしなき練磨 /「商品」としての共感覚
「メディアはメッセージである」 /「テレビは触覚的である」
マクルーハンと共感覚 /共感覚、時代と社会を超えて
共感覚にある原始的なもの
終 章 なぜ共感覚なのか
子どもと共感覚 /「創造」の力として
再びアニミズムについて /共感覚の世界
あとがき
注
主な参考文献
装幀 難波園子