クラシック音楽は,なぜ〈鑑賞〉されるのか
近代日本と西洋芸術の受容

明治以降近代化を推進し西洋芸術の受容と普及に努める過程で,音楽は静かに「きき」「わかる」べきもの-〈鑑賞〉するもの-となった。文化に埋め込まれ,音楽を超えて芸術に対する私たちの態度のなかに今も息づく〈鑑賞〉の誕生と変遷の文化史。
◆クラシック音楽は、なぜ〈鑑賞〉されるのか――目次
序 章 日本にだけある〈鑑賞〉という言葉
I 章 音楽をきくのは専門家
─明治の〈鑑賞〉は批評?
II章 子どももみんな音楽をきこう
─信じられた芸術鑑賞の力
III章 音楽をきいて精神訓練
─クラシック音楽の〈鑑賞〉で身につける日本精神
IV章 音楽を愛そう
─日本国民は将来みんなクラシック音楽鑑賞者
V章 音楽は「ただきく」ものではない
─〈鑑賞〉と「きく」ことの違い
VI章 みんなできこうクラシック音楽
─〈鑑賞〉は日本人の義務
VII章 ポピュラー音楽にかなわないクラシック音楽
─〈鑑賞〉教育の失敗
終章 なぜ日本にだけ〈鑑賞〉という言葉が生まれたのか
装幀=難波園子
序 章 日本にだけある〈鑑賞〉という言葉
I 章 音楽をきくのは専門家
─明治の〈鑑賞〉は批評?
II章 子どももみんな音楽をきこう
─信じられた芸術鑑賞の力
III章 音楽をきいて精神訓練
─クラシック音楽の〈鑑賞〉で身につける日本精神
IV章 音楽を愛そう
─日本国民は将来みんなクラシック音楽鑑賞者
V章 音楽は「ただきく」ものではない
─〈鑑賞〉と「きく」ことの違い
VI章 みんなできこうクラシック音楽
─〈鑑賞〉は日本人の義務
VII章 ポピュラー音楽にかなわないクラシック音楽
─〈鑑賞〉教育の失敗
終章 なぜ日本にだけ〈鑑賞〉という言葉が生まれたのか
装幀=難波園子